5、詐欺男とミツ子という女
学生援護会に通いだして二日目、ようやく仕組みが分かる。職種が約一〇〇に対して応募が八〇〇人位いる。職種ごとに希望をだしている者の振り分けはカード選考で、うまく当たれば仕事にありつける。
学生の様子を見ていると、単に小遣いかせぎで来ている者と、生活がかかっている者とに分けられる。しかし、カード選考はそのような事情におかまいなく、公平かつ機械的に行われた。
通いだして三日目、雑労・セメント練り二名の選考で僕のカードが選ばれた。勤務時間は八時半から五時まで。日当三八〇円。雇用期間は十二月一杯まで。場所は新宿区愛住町なので四ツ谷駅から歩いて通える。通学上も便利であった。
翌日、四ツ谷駅から四谷三丁目まで、コッペパンを詰めこみながら走る。遅刻しないですむ。T商事株式会社の看板が目に入り、店舗と事務所があり、近くに倉庫兼作業所が只今拡張工事中の状態。ここで仕事をすることを説明される。
僕の他にもう一人の男(竹田といった)と初めて顔を合わせる。人なつっこい表情をしていて小柄。どうみても二人共セメント練りなど体力的に向いているようには思えなかった。彼もセメント練りは初めてだと言う。ここで砂・セメント・砂利を練り合わせる人夫の仕事は大変だなとひとごとのように見てきたことが、我身に振りかかるとは……。
要は二人共、生活費を得るために少しでも日当の高い仕事を希望していたのである。
これが縁で二人の親交が進んでいった。
昼休みに、お互い二つ割の中にジャムがはさんであるコッペパンを噛りながら話すうちに竹田という男は、群馬県の田舎の高校を出て上京し、演劇が好きなので俳優を目指し、ある劇団に籍を置いて練習に励んでいるのだと言う。下積みの者は一切の収入がないので生活費を稼ぐしかなく、女性などは飲み屋で働く者もいるのだと。
僕も高校で演劇部に入っていたこともあって話が合う。時に竹田の口から、ロシアの有名な演出家で俳優のスタニスラフスキーの『俳優術』のことなど持ち出され、本当に頑張っているのだと思った。
十一月の末、日割りで日当が入った時、竹田から誘いがかかった。伊勢丹の裏の方にあるフランス座のストリップショウを見にいかないかと言う。入場料は誘った俺が持つからと言いながら説明をしだした。
浅草のフランス座よりこちらのフランス座の方が上品なのだと言う。舞台美術・照明・音楽とストリッパーの演技が参考になるのだと。
僕にはストリップ劇場へ行くのは初めてなので、何がどう参考になるのかは分からないが興味優先で誘いを受けた。
入っていきなり、舞台一杯にくりひろげられるストリッパーの乱舞の歓迎にあう。
僕は、客席まで匂ってくる脂粉ですっかり酔ってしまう。更にストリッパーがうしろ向きになった時、スポットライトに浮き上がった尻の痣が目に飛びこんできてすっかり興醒め。
しかし、だんだん冷静をとりもどして舞台全体を見回す。
今日の出し物は『夜ひらく女の羞恥』とか……少しは気の利いた演題なのかもしれない。そのせいかどうかは分からないが、乳首と腰にチョットしたアクセサリーをつけた全裸が、花道でライトアップされると、ストリッパーの表情が、羞恥を含んだ息づかいをしていることが感じられた。
その背景になっている舞台美術も、なかなか凝っていた。竹田のいう上品さというのが少し理解できたが、内容は全体的につまらないと思った。大体この手のショウに、ストーリーとかドラマ性を期待すること自体間違いなのだ。
また僕は、この種の入場者は、当然男が多いという先入観をもっていたが、客席を見回して軽い衝撃を受けたのである。
何と初老の女性が多いのだ。これには、女性側の方に一沫の心理的要因があるのだろうか……。
竹田は、真面目な顔つきで、自分の悩みを打ち明けるようになった。俳優になるため、親の反対を押し切って飛びだしてきたが、今後の進むべき道に迷っていると言う。
相手が、真面目に深刻に話されれば、僕自身も真面目に相談に乗るしかない。
一度は大学の講義をサボッて、安酒を飲みながら話を聞いてやった。その時、新宿二丁目(紅灯街)で働く女についても触れた。
その女とは二年前に会ったことがあり、今年たまたま会ったので話を聞いたら、一度結婚。家庭を守るために一生懸命努力したが失敗。再び身を売る世界に戻ったのだが、それでも絶対まともな生活をめざして頑張るのだと。それに反して俺は全くの意志薄弱──どうにもならない人間なのかと嘆く。
僕自身もたいして意志が強い方ではないと思いながら、慰めや励ましの言葉を選びながらその場を収めた。
ところが、慣れないセメント練りを、二人で汗をかきながら続けて十日位たったある日の昼休み、竹田はお願いがあるのだと言う。やはり深刻な表情。
仕事が終わって四ツ谷駅前の喫茶店で、竹田の話を聞く。母親が病気入院をしたので田舎へ帰り、またすぐ戻ってきたいが、手持ちの金が少ないので何とかお金を貸してもらえないかと言う。長男として小額でも置いてきたいのだと。
僕も長男、気持ちはよく分かるので、何とかやりくりして翌日九〇〇円を渡す。竹田は平身低頭して、一週間位で必ず返すと言って受け取る。
三日程経って分かったが、竹田は会社の方にもやはり同じことを言って、働いた分を日割りにしてもらっていったとのこと。
ここで初めて僕は竹田という男に疑問を持ち始めた。今までの竹田の一連の言動を思い返してみると、やっぱり調子のいいところがあったり、腑におちないことも次々と湧いてきた。
あの男のことで頭が一杯になる。あれからもう五日程経っている。折角やりくりして工面した金を、騙し取られたとしたら、素直に腹が立つが、あんなに真面目に深刻に悩みを打ち明けられ、真剣に相談に乗ってきた自分自身にも腹が立った。
でもこの段階で、竹田は間違いなく寸借詐欺犯だと決めつけたくない。何故なら、竹田の友達の名前や住所、行きつけの飲み屋、そして二丁目で働く女の名前や店のことを全部話し、メモまで渡してくれたのだ。
土曜日の夜、教授の都合で休講になったのをさいわいに新宿で降り、新宿二丁目へ向かう。僕は、竹田の言ったことの真偽を確めたいと思った。
酔っ払いやひやかしのさまよう時間帯ではないので店はすぐ分かり、客でないことを断ってトミ子さんを呼んでもらう。二十五か六位の年齢。下ぶくれのポチャタイプ。化粧が中途半端なことが分かる。玄関口で話をする。
竹田は一週間位前に来ていったと言う。例の身の上話を持ちだすと、エッ、わたしが?ちがうちがうと右手を大げさに左右に振る。その頑張っている子は一緒に働いているミナ子のことで、わたし達はやむにやまれずここに身を寄せているが、例えばこういう子もいるんだよと話してあげただけよ。それがわたしになったの?。竹田さんもおかしな人、と言いながら乾いた笑い方をした。
お礼をいってきびすを返した僕の背中に、ねぇ今度遊びに来てよ。学割で安くしておくから、というトミ子さんの声が届いた。
僕は安い食堂のある西口へ向かう。竹田は何故身の上話の本人をトミ子に変えたのか、その意図は何なのかを歩きながら考えた。竹田自身の深刻さをアピールするための単なる演出……。
カレーライスを飲みこむように食べてまた東口の方へ向かう。今度は、和田マーケット内にある飲み屋である。
夜の八時であれば、飲み屋としては早い時間帯。客が一杯いたらママと話もできないと思いながら、聞いていたとおりの名前の店のドアを押した。
あら、いらっしゃいとカウンターの奥から声がしてひょいと顔をだしたのが、三十代半ば位の女。
「あのう、ここのママさんですよね」
「そうだけど」
「竹田という男のことで」
「えっ、アイツのこと」
急に語調が険しくなった。
僕はカウンターの端の方のスツールに腰をおろして、ビールを一本注文する。
「学生さん、アイツの何なの?」
「たまたまアルバイト先で一緒になっただけで、何回か友達つき合いをしたんですが、チョッとお金のことで……」
「じゃあ、あんたもアイツに騙されたの」
「まだ騙されたかどうかは、ハッキリしないんだけど」
「アイツはね、三日前に二晩続けてここへ来たんだよ。さんざん調子のいいこと言って、明日こういう椅子を持ってきてやるからと、会社の名前まで書いたメモをよこし、七〇〇円持っていったきりなんだよ」
ママは、本人の書いた紙片を取り出して見せてくれた。
間違いなくアルバイト先の会社名が書かれていた。
「学生さんは、何でウチの店が分かったのよ」
「彼からママさんのことまで聞かされていたから、ここへ来たら何か消息がつかめるかと思って……」
「あんたも被害者だと分かったら、やっぱりアイツは初めから騙すつもりだったんだ。許しておけないッ。こうなったらヤクザに頼むしかない」
「あママ、もう少し僕に探させて下さい。彼からは、今までいろいろ身の上相談をされてきたので、ヤクザの方はもうちょっと……」
「あ~あ、学生さん、人を見る目が甘いんだよ。あ、人のことをいえた義理じゃないわね。あんたがそこまで言うんであれば、少し様子をみることにするよ」
「ありがとうございます。ママあのう、ビール」
「あごめん。アイツのことですっかり頭に血が昇って……」
ビールとつまみのピーナツを出しながらカウンターの奥の方に声をかける。
「ミッちゃん、お客さんだよ」
「ハーイ」
若い声。ワインレッド色のロングドレス。ネックレスもロング。一見あの肉ジャガの女、松井さんのような体型で、雰囲気も似ている。このような飲み屋では、場違いのような気がした。
「ミッちゃん、三十分か一時間お願いね。子どものところへ行ってくるから。あ、学生さんゆっくりしていって」
ママはハンドバックを手に出て行く。
僕の隣りのスツールにすべりこむように座ったミッちゃんは、いらっしゃいといってポッと微笑んだ。
「ビール飲む?」
「あら、じゃあ一杯だけいただくわ」
自分のグラスを取りに行きながら、
「学生さんも大変ね。やっぱりあの竹田という男に騙されたんだ」
「あれ、聞いていたの?」
「わたしはあの男の話し振りを見ていて、どこか信用のおけない男と思っていたわ。じゃあいただくわ。カンパイ」
軽くグラスを触れる。やや面長な顔の中に目鼻口が、バランスよく整っていた。
「じゃあ、ママと竹田のやりとりを聞いていたの?」
「そうよ。どうも言動に疑問を感じたところがあったけど、ママのやることに口を挟むわけにはいかないし……」
「しかし、こんな商売をやっているママでさえ、人を見る目が狂うこともあるんだ」
「まあ男って本当に分からない動物と思いながらも、わたしってそれを相手に仕事をしているんだから……」
「男からいえば女って……と思う人もいるかもね。ビールもう一本だして」
「そうかもね。でも何かが起きたら、女の方により深い傷が残る気がするわ……」
ビールを取りに立ち上がりながら、
「あ、学生さん、大きい声ではいえないけどこの辺一帯は和田組の縄張りよ。何かに巻きこまれたら大変だから、あまりうろつかない方がいいよ。さっきママがいったでしょ。一声かけたら組の人がすぐ動きだすから」
「それで和田マーケットという名前がついているんだ」
「そう。終戦直後は、この辺一帯は闇市だったらしいよ」
「飲み代もぼるの?」
心配になって尋ねる。
「この商売、お客が来なかったら成り立たないでしょ。だからウチは普通よ。和田組に店賃を払ってやっているん
だから」
二本目のビールも、グラスに注いで空になる。
「学生さん、明日日曜だけどヒマ?」
「どうして?」
「わたしと一緒に映画を観に行かない?」
「ウーン」
「一人でもいいんだけど、いろいろ声をかけられたりするのがわずらわしいのよ。アベックだとそういうこともないから」
「やっぱり美人は目立つから、何かと気苦労が多いんだ」
「またからかって……真面目にどお?」
「午後一時位からなら──で、どこで落ち合うの?」
「わたし三越の前で待ってるから」
「分かった。じゃあお勘定」
ママによろしく伝えてといって外へ出る。
僕は、女に誘われるまますんなりと返事をしてしまった。本来、竹田の消息をつかむためにここへ足を運んだのに、ビールまで飲んで金を使い、更に女と映画の約束までしてしまった自分を嘲笑いたい気持ちになった。
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学生援護会に通いだして二日目、ようやく仕組みが分かる。職種が約一〇〇に対して応募が八〇〇人位いる。職種ごとに希望をだしている者の振り分けはカード選考で、うまく当たれば仕事にありつける。
学生の様子を見ていると、単に小遣いかせぎで来ている者と、生活がかかっている者とに分けられる。しかし、カード選考はそのような事情におかまいなく、公平かつ機械的に行われた。
通いだして三日目、雑労・セメント練り二名の選考で僕のカードが選ばれた。勤務時間は八時半から五時まで。日当三八〇円。雇用期間は十二月一杯まで。場所は新宿区愛住町なので四ツ谷駅から歩いて通える。通学上も便利であった。
翌日、四ツ谷駅から四谷三丁目まで、コッペパンを詰めこみながら走る。遅刻しないですむ。T商事株式会社の看板が目に入り、店舗と事務所があり、近くに倉庫兼作業所が只今拡張工事中の状態。ここで仕事をすることを説明される。
僕の他にもう一人の男(竹田といった)と初めて顔を合わせる。人なつっこい表情をしていて小柄。どうみても二人共セメント練りなど体力的に向いているようには思えなかった。彼もセメント練りは初めてだと言う。ここで砂・セメント・砂利を練り合わせる人夫の仕事は大変だなとひとごとのように見てきたことが、我身に振りかかるとは……。
要は二人共、生活費を得るために少しでも日当の高い仕事を希望していたのである。
これが縁で二人の親交が進んでいった。
昼休みに、お互い二つ割の中にジャムがはさんであるコッペパンを噛りながら話すうちに竹田という男は、群馬県の田舎の高校を出て上京し、演劇が好きなので俳優を目指し、ある劇団に籍を置いて練習に励んでいるのだと言う。下積みの者は一切の収入がないので生活費を稼ぐしかなく、女性などは飲み屋で働く者もいるのだと。
僕も高校で演劇部に入っていたこともあって話が合う。時に竹田の口から、ロシアの有名な演出家で俳優のスタニスラフスキーの『俳優術』のことなど持ち出され、本当に頑張っているのだと思った。
十一月の末、日割りで日当が入った時、竹田から誘いがかかった。伊勢丹の裏の方にあるフランス座のストリップショウを見にいかないかと言う。入場料は誘った俺が持つからと言いながら説明をしだした。
浅草のフランス座よりこちらのフランス座の方が上品なのだと言う。舞台美術・照明・音楽とストリッパーの演技が参考になるのだと。
僕にはストリップ劇場へ行くのは初めてなので、何がどう参考になるのかは分からないが興味優先で誘いを受けた。
入っていきなり、舞台一杯にくりひろげられるストリッパーの乱舞の歓迎にあう。
僕は、客席まで匂ってくる脂粉ですっかり酔ってしまう。更にストリッパーがうしろ向きになった時、スポットライトに浮き上がった尻の痣が目に飛びこんできてすっかり興醒め。
しかし、だんだん冷静をとりもどして舞台全体を見回す。
今日の出し物は『夜ひらく女の羞恥』とか……少しは気の利いた演題なのかもしれない。そのせいかどうかは分からないが、乳首と腰にチョットしたアクセサリーをつけた全裸が、花道でライトアップされると、ストリッパーの表情が、羞恥を含んだ息づかいをしていることが感じられた。
その背景になっている舞台美術も、なかなか凝っていた。竹田のいう上品さというのが少し理解できたが、内容は全体的につまらないと思った。大体この手のショウに、ストーリーとかドラマ性を期待すること自体間違いなのだ。
また僕は、この種の入場者は、当然男が多いという先入観をもっていたが、客席を見回して軽い衝撃を受けたのである。
何と初老の女性が多いのだ。これには、女性側の方に一沫の心理的要因があるのだろうか……。
竹田は、真面目な顔つきで、自分の悩みを打ち明けるようになった。俳優になるため、親の反対を押し切って飛びだしてきたが、今後の進むべき道に迷っていると言う。
相手が、真面目に深刻に話されれば、僕自身も真面目に相談に乗るしかない。
一度は大学の講義をサボッて、安酒を飲みながら話を聞いてやった。その時、新宿二丁目(紅灯街)で働く女についても触れた。
その女とは二年前に会ったことがあり、今年たまたま会ったので話を聞いたら、一度結婚。家庭を守るために一生懸命努力したが失敗。再び身を売る世界に戻ったのだが、それでも絶対まともな生活をめざして頑張るのだと。それに反して俺は全くの意志薄弱──どうにもならない人間なのかと嘆く。
僕自身もたいして意志が強い方ではないと思いながら、慰めや励ましの言葉を選びながらその場を収めた。
ところが、慣れないセメント練りを、二人で汗をかきながら続けて十日位たったある日の昼休み、竹田はお願いがあるのだと言う。やはり深刻な表情。
仕事が終わって四ツ谷駅前の喫茶店で、竹田の話を聞く。母親が病気入院をしたので田舎へ帰り、またすぐ戻ってきたいが、手持ちの金が少ないので何とかお金を貸してもらえないかと言う。長男として小額でも置いてきたいのだと。
僕も長男、気持ちはよく分かるので、何とかやりくりして翌日九〇〇円を渡す。竹田は平身低頭して、一週間位で必ず返すと言って受け取る。
三日程経って分かったが、竹田は会社の方にもやはり同じことを言って、働いた分を日割りにしてもらっていったとのこと。
ここで初めて僕は竹田という男に疑問を持ち始めた。今までの竹田の一連の言動を思い返してみると、やっぱり調子のいいところがあったり、腑におちないことも次々と湧いてきた。
あの男のことで頭が一杯になる。あれからもう五日程経っている。折角やりくりして工面した金を、騙し取られたとしたら、素直に腹が立つが、あんなに真面目に深刻に悩みを打ち明けられ、真剣に相談に乗ってきた自分自身にも腹が立った。
でもこの段階で、竹田は間違いなく寸借詐欺犯だと決めつけたくない。何故なら、竹田の友達の名前や住所、行きつけの飲み屋、そして二丁目で働く女の名前や店のことを全部話し、メモまで渡してくれたのだ。
土曜日の夜、教授の都合で休講になったのをさいわいに新宿で降り、新宿二丁目へ向かう。僕は、竹田の言ったことの真偽を確めたいと思った。
酔っ払いやひやかしのさまよう時間帯ではないので店はすぐ分かり、客でないことを断ってトミ子さんを呼んでもらう。二十五か六位の年齢。下ぶくれのポチャタイプ。化粧が中途半端なことが分かる。玄関口で話をする。
竹田は一週間位前に来ていったと言う。例の身の上話を持ちだすと、エッ、わたしが?ちがうちがうと右手を大げさに左右に振る。その頑張っている子は一緒に働いているミナ子のことで、わたし達はやむにやまれずここに身を寄せているが、例えばこういう子もいるんだよと話してあげただけよ。それがわたしになったの?。竹田さんもおかしな人、と言いながら乾いた笑い方をした。
お礼をいってきびすを返した僕の背中に、ねぇ今度遊びに来てよ。学割で安くしておくから、というトミ子さんの声が届いた。
僕は安い食堂のある西口へ向かう。竹田は何故身の上話の本人をトミ子に変えたのか、その意図は何なのかを歩きながら考えた。竹田自身の深刻さをアピールするための単なる演出……。
カレーライスを飲みこむように食べてまた東口の方へ向かう。今度は、和田マーケット内にある飲み屋である。
夜の八時であれば、飲み屋としては早い時間帯。客が一杯いたらママと話もできないと思いながら、聞いていたとおりの名前の店のドアを押した。
あら、いらっしゃいとカウンターの奥から声がしてひょいと顔をだしたのが、三十代半ば位の女。
「あのう、ここのママさんですよね」
「そうだけど」
「竹田という男のことで」
「えっ、アイツのこと」
急に語調が険しくなった。
僕はカウンターの端の方のスツールに腰をおろして、ビールを一本注文する。
「学生さん、アイツの何なの?」
「たまたまアルバイト先で一緒になっただけで、何回か友達つき合いをしたんですが、チョッとお金のことで……」
「じゃあ、あんたもアイツに騙されたの」
「まだ騙されたかどうかは、ハッキリしないんだけど」
「アイツはね、三日前に二晩続けてここへ来たんだよ。さんざん調子のいいこと言って、明日こういう椅子を持ってきてやるからと、会社の名前まで書いたメモをよこし、七〇〇円持っていったきりなんだよ」
ママは、本人の書いた紙片を取り出して見せてくれた。
間違いなくアルバイト先の会社名が書かれていた。
「学生さんは、何でウチの店が分かったのよ」
「彼からママさんのことまで聞かされていたから、ここへ来たら何か消息がつかめるかと思って……」
「あんたも被害者だと分かったら、やっぱりアイツは初めから騙すつもりだったんだ。許しておけないッ。こうなったらヤクザに頼むしかない」
「あママ、もう少し僕に探させて下さい。彼からは、今までいろいろ身の上相談をされてきたので、ヤクザの方はもうちょっと……」
「あ~あ、学生さん、人を見る目が甘いんだよ。あ、人のことをいえた義理じゃないわね。あんたがそこまで言うんであれば、少し様子をみることにするよ」
「ありがとうございます。ママあのう、ビール」
「あごめん。アイツのことですっかり頭に血が昇って……」
ビールとつまみのピーナツを出しながらカウンターの奥の方に声をかける。
「ミッちゃん、お客さんだよ」
「ハーイ」
若い声。ワインレッド色のロングドレス。ネックレスもロング。一見あの肉ジャガの女、松井さんのような体型で、雰囲気も似ている。このような飲み屋では、場違いのような気がした。
「ミッちゃん、三十分か一時間お願いね。子どものところへ行ってくるから。あ、学生さんゆっくりしていって」
ママはハンドバックを手に出て行く。
僕の隣りのスツールにすべりこむように座ったミッちゃんは、いらっしゃいといってポッと微笑んだ。
「ビール飲む?」
「あら、じゃあ一杯だけいただくわ」
自分のグラスを取りに行きながら、
「学生さんも大変ね。やっぱりあの竹田という男に騙されたんだ」
「あれ、聞いていたの?」
「わたしはあの男の話し振りを見ていて、どこか信用のおけない男と思っていたわ。じゃあいただくわ。カンパイ」
軽くグラスを触れる。やや面長な顔の中に目鼻口が、バランスよく整っていた。
「じゃあ、ママと竹田のやりとりを聞いていたの?」
「そうよ。どうも言動に疑問を感じたところがあったけど、ママのやることに口を挟むわけにはいかないし……」
「しかし、こんな商売をやっているママでさえ、人を見る目が狂うこともあるんだ」
「まあ男って本当に分からない動物と思いながらも、わたしってそれを相手に仕事をしているんだから……」
「男からいえば女って……と思う人もいるかもね。ビールもう一本だして」
「そうかもね。でも何かが起きたら、女の方により深い傷が残る気がするわ……」
ビールを取りに立ち上がりながら、
「あ、学生さん、大きい声ではいえないけどこの辺一帯は和田組の縄張りよ。何かに巻きこまれたら大変だから、あまりうろつかない方がいいよ。さっきママがいったでしょ。一声かけたら組の人がすぐ動きだすから」
「それで和田マーケットという名前がついているんだ」
「そう。終戦直後は、この辺一帯は闇市だったらしいよ」
「飲み代もぼるの?」
心配になって尋ねる。
「この商売、お客が来なかったら成り立たないでしょ。だからウチは普通よ。和田組に店賃を払ってやっているん
だから」
二本目のビールも、グラスに注いで空になる。
「学生さん、明日日曜だけどヒマ?」
「どうして?」
「わたしと一緒に映画を観に行かない?」
「ウーン」
「一人でもいいんだけど、いろいろ声をかけられたりするのがわずらわしいのよ。アベックだとそういうこともないから」
「やっぱり美人は目立つから、何かと気苦労が多いんだ」
「またからかって……真面目にどお?」
「午後一時位からなら──で、どこで落ち合うの?」
「わたし三越の前で待ってるから」
「分かった。じゃあお勘定」
ママによろしく伝えてといって外へ出る。
僕は、女に誘われるまますんなりと返事をしてしまった。本来、竹田の消息をつかむためにここへ足を運んだのに、ビールまで飲んで金を使い、更に女と映画の約束までしてしまった自分を嘲笑いたい気持ちになった。
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2011.02.26 / Top↑
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